地名の由来、知ってます?

東浦地名考

東浦にはたくさんの地名がありますが、それらには一つ一つ由来があります。
歴史的背景をもった成り立ち、それにまつわるエピソード、また伝説など、興味深い話が多く残っています。
このページでは、各地区の地名考を少しだけ紹介したいと思います。

伊久智神社参道の写真

水野・織田軍が戦勝の酒盛りをした場所、飯喰場(いくいば)

森岡地区の村木砦(むらきとりで)の戦いで今川軍に勝利した水野・織田軍が酒盛りをした場所が、その名のとおり「飯喰場」と呼ばれるようになったそう。今は森岡新池公園に「飯喰場」の看板が立っています。公園に行って、お弁当でも食べながら戦国時代に想いをはせてみてはいかがでしょう?

森岡新池公園の写真

緒川城があった場所、古城(ふじろ)

緒川の「古城」という場所は、緒川城があった場所です。緒川城は於大の方(おだいのかた)の出生地であり、水野氏が五代(なんと100年間!)に渡って居城とした城です。
ちなみに、古城の南は「羽城(はじょ)」という地名です。「端城」の当て字でしょうか。

緒川城跡の写真
緒川城址周辺地図の画像

焼き物が盛んだった唐治屋敷(とうじやしき)、釜池(かまいけ)

知多半島では、平安時代末期から室町時代にかけて焼き物が盛んに生産されました。緒川新田地区の「唐治屋敷」や「釜池」という地名も焼き物の名残で、唐治の語源は「陶師」、唐治屋敷は焼き物の職人がいた屋敷のことだそう。また、釜池は本当は「窯池」と書くそうで、焼き物を作る粘土の加工に必要な水を貯める池を窯の近くに作ったからだそう。
窯跡はもう見られませんが、地名から歴史ロマンを感じられますね!

石浜2号窯の写真

蛇の住処?! 石浜の蛇子連(じゃこづれ)

昔、いたずら盛りの若者3人が蛇の親子に火を放って殺してしまい、その後、若者のうち2人が熱を出して死んでしまいました。以来、蛇の親子が焼け死んだ辺りを「蛇子連」と呼ぶようになりました、という民話があります。
国語辞典を引くと「蛇崩(じゃくず)れ-崖などの土が崩れたところ」とあります。後々「じゃくずれ」が「じゃこずれ」となまり、村絵図を作るときに和尚さんが「蛇子連」と漢字を当てたようです。後世になって誰かがこの漢字から連想し、創作したお話だと思われます。

石浜蛇子連交差点の写真

伊久智(いくぢ)神社周辺の地名

生路地区にある伊久智神社周辺の地名を紹介します。
「森腰(もりこし)」は、伊久智神社の森、腰はその付近。「坂下(さかした)」は、伊久智神社と神後院(じんごいん)の間の坂の下。「西畑(にしばた)」は、神社の西方面。
神社の存在が地名に影響を与えていることがよく分かりますね。

伊久智神社本堂の写真
伊久智神社周辺地図の画像

塩田だった場所、ヤンチャ

藤江地区に「ヤンチャ」という地名があります。ここは明治時代まで塩田だった場所で、塩づくりが行われていました。塩田として利用される以前は、海岸の低湿地で「手の付けようがないわがまま勝手なヤンチャ坊主」のような土地だったことから「ヤンチャ」と呼ばれるようになったそう。現在は工場が建ったりしていて、全然「ヤンチャ」ではない土地になっていますよ。

藤江塩田跡の写真

「改定東浦地名考」
うのはな館(東浦町郷土資料館)、東浦町役場学校教育課、東浦町行政サービスコーナー(イオンモール東浦2階)で好評発売中!(1冊300円)

改定東浦地名考表紙の写真