天白遺跡の紹介

更新日:2022年03月01日

天白遺跡

遺跡の始まりは、縄文(じょうもん)土器の出土から約7,000年前の縄文時代早期後葉です。その後空白の時期があり、弥生(やよい)時代中期後葉から本格的に集(しゅう)落(らく)が形成されます。竪穴(たてあな)建物(たてもの)の数が一番多いことから、弥生時代中期後葉から後期前葉の時期が天白遺跡の最(さい)盛(せい)期(き)であると考えられます。

古(こ)墳(ふん)時代以降も集落は断続的に続きますが、奈(な)良(ら)時代の8世紀前葉以降になると竪穴建物がみられなくなります。遺物の出土状況からその後は掘(ほっ)立(たて)柱(ばしら)建(たて)物(もの)など竪穴建物とは異なる形態の建物が建てられ、規模は小さいながらも古(こ)代(だい)から中(ちゅう)世(せい)・近(きん)世(せい)も引き続き人々が生活していました。

発(はっ)掘(くつ)調(ちょう)査(さ)では、当時の人々が使用した土(ど)器(き)や石(せっ)器(き)などが多く出土しました。また、当時は海に近い環(かん)境(きょう)であったことから、竪穴建物跡のくぼみを利用して貝(かい)殻(がら)などを廃(はい)棄(き)した貝(かい)層(そう)も見つかっています。これだけ多くの竪穴建物が見つかった集落遺跡は知多半島内では珍しく、知多半島および衣(きぬ)浦(うら)湾(わん)沿岸を代(だい)表(ひょう)する集落遺跡です。

天白遺跡1

天白遺跡・発掘調査風景

天白遺跡2

天白遺跡・貝層と土器の出土状況(該当部分を点線で表示しています)

天白遺跡3

天白遺跡・土器の出土状況(復元した土器を合成して表示しています)

天白遺跡4

天白遺跡・ヒスイ製勾玉

天白遺跡の概要についてまとめた解説です。参考にして下さい。

出土遺物は東浦町郷土資料館(うのはな館)で展示しています。

この記事に関するお問い合わせ先

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